のら犬シリーズ  のら犬のファンシー ①  髙田春彦


のら犬のファンシー ①  髙田春彦

 

1. ことば

人がことばをつくり

ことばが人をつくる

 

人はことばでできている

人はことばで考え

ことばで生きている

ことばがなければ人は死ぬ

ことばを磨いて人になる

 

人は自分のことばの範囲で考える

人は自分のことばの範囲でしか理解できない

 

人のことばは

心に宿る「ことばになる前のことば」から出てくる

「ことばになる前のことば」はロゴス

ロゴスは人のことばの源泉だが

ロゴスをすべてことばにはできない

 

 

2. 予感

画家と詩人が予感を感じた

いいことが起こりそうな予感

しかしいつまでたっても何の変化もなかった

 

画家は絵がどんどん売れる予感がした

詩人はたくさんの人に自分の詩が読まれる予感がした

一年たっても画家の絵は一枚しか売れなかった

詩人の詩は誰にも読まれなかった

 

画家も詩人も楽しく幸福な暮らしが待っている予感がした

三年たっても画家の生活は苦しく詩人の生活は貧しかった

 

素晴らしい予感がした

とにかく素晴らしい予感だ

画家と詩人はそわそわしながらそれぞれの家を出た

二人は街ですれ違った

お互い知らないのですれ違ったことも分からなかった

数年たってもそれぞれの生活に変化はなかった

 

そのうち画家も詩人も年をとって別々に死んだ

別々の棺にはそれぞれの予感がいっぱい詰まっていた

それは誰にも見えなかった

 

 

3. 素材と価値

一本のひまわりは、ひまわりとして美しい。それを描いたゴッホの絵は、ゴッホの死後何十億円もの値がついた。しかし、どんなに完璧な本物のひまわりも、そんな値がつけられることは決してない。ゴッホの描いた絵が素晴らしいのである。同じひまわりを、無能な画家が描いた絵は一万円でも売れない。題材となるものがただの石ころでも、何億円の宝石でも、それ自身とそれを描いた絵の価値とは別物である。

バッハの優れた作品を演奏しても、それだけで価値があるわけではない。グレングールドが弾いたゴールドベルク変奏曲が価値があるのであって、誰でもゴールドベルク変奏曲さえ弾けば価値がでるわけではない。優れた作品が、優れたバレリーナによって踊られる時、作品に命が吹き込まれ価値ある作品になる。

聖書の言葉さえ語れば本物のキリスト教になるわけではない。その言葉が自分の体の中で消化し、自分の経験に深く関わる時、初めて力となり救いとなりうる。

題材や、作品の有名度や、表面的な言葉だけを見て評価を下すことは、中味を知らず、包装紙を見て評価をするようなものである。






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